大阪高等裁判所 昭和25年(う)3393号 判決 1952年4月15日
控訴人 被告人 小川利男 外一名
弁護人 山本治雄 外一名
検察官 舟田誠一郎関与
主文
原判決中被告人等に関する部分を破棄する。
被告人等を各懲役六月に処する。
被告人小川利男に対し原審の未決勾留日数中四十日を右本刑に算入する。
本裁判確定の日から三年間いずれも右各刑の執行を猶予する。
訴訟費用中住居不退去事件に関し生じた部分は被告人等の連帯負担とする。
理由
被告人等弁護人山本治雄、小林為太郎の控訴趣意第一点について。
しかし原判示第一事実中の面会時間については、証人小林郁は「当日三時五十分頃面会することになつたが、農事行政に関する会議がある関係上、四時から農政クラブに行かねばならぬことを告げた」旨証言し、証人高田浅次郎は「被告人小川が、市長が東京へ行つて来られた結果をきゝたいというたから取り次いだところ、市長は用事があるから、十分間ほど会おうといつたのでその旨伝えた・・・四時のサイレンが鳴つたとき、小川はサイレンも十分の中に這入るだろうなど冗談にいつていた云々」と証言しており、当日三時五十分から四時迄の十分間の約束であつたことが推知されるし、さらに原判決挙示の証拠によると、被告人等に対する彦根市長小林郁の市長室退去要求は室内に十分徹底するように明確になされたこと、及び当時手良村市会議長から「挨拶するから少時待つてくれ」というような所論の発言は全然なかつたことが明白であり、記録を検討しても原判示第一事実が誤認とは思われないから、論旨は採用できない。
同第二点について。
所論は原判決がその第一事実を有罪としたのは労働組合法第六条を空文化し憲法第二十八条の保障する勤労者の団結権を無視するというのである。
しかし原判決の挙示する証拠をよく調べてみると、彦根市長小林郁が失業者の熱望により失業対策予算獲得のため上京し昭和二十五年二月十四日午後彦根市役所に帰庁し午後四時から農事行政に関する会議に出席することになつていたのであるが、午後三時五十分頃庁内で被告人等にあい、その要望により右上京経過報告のため時間を十分間と定めて市長室で面会し、右経過を詳細に説明し、そのうち所定時間も過ぎ先約の会議出席時刻も経過するに至つたところ、被告人等十数名から失業者全員即時就労の件以下全面講和即時締結等二十二項目を呈示し市長を取り囲みこれが即時実施方を強要すると共に、一部の者は出入口に椅子等を置き小林の退室を実力で阻止し会議出席のため強いて退室すればどんな危害が及ぶかもわからないと感じさせるような不穏な形勢となつてきたので小林から本件退室要求の挙にいでたのにかゝわらず、右態勢を解くことなくして依然滞留し急報により市長室に赴いた警官の庇護により小林が室外に脱出後も係員に対し「市長をどこへやつた連れて来い。東京で二日間頑張つたように我々も泊り込んでこゝで頑張ろう。」などと気勢をあげて容易に退室解散しなかつたという事情が窺われるし、原判決の認定する趣旨も畢竟ここにあるものと解されるのである。このような事実関係であるから被告人等の市長室不退去は何ら正当な理由はなく、またいわゆる団体交渉としても正当な域を超えているものというの外なく、従つて所論のように労働組合法第一条第二項により違法性を阻却されるものではない。すなわち原判決が被告人等の所為をもつて住居不退去罪に問擬したのは相当であり、もとより勤労者の団結権を無視したことになるいわれなく、憲法違反あるいは労働組合法違反の主張は不当な誇張といわねばならぬ。
同第五点について。
所論は原判決が原判示事実に適用した滋賀県条例は憲法第二十八条の団体行動権を直接取り締ろうとする一般規定であつて憲法違反の条例であるというのである。
しかし、行進または集団示威運動については憲法第二十八条第二十一条の保障に関係あることもちろんであるが、そこに自由の保障とか権利の保障とかいつても絶対無制限のものではなく、公共の福祉のためにおのずから一定の限度があるべきであつてそのことは同法第十二条第十三条の規定の精神に鑑みても知り得るところであり、このことは所論のように「公共の福祉に反しない限り」と明記した同法第二十二条第二十九条の場合に限ると解すべきではない。たゞ、右にいわゆる公共の福祉の内容を具体的にどうみるかについては、きわめて慎重に厳格な一線が引かるべきであつて、みだりに便宜な取り扱い方をしてはならぬこともちろんである。この見地から、原判決が適用した滋賀県昭和二十四年四月二十三日条例第二九号行進及び集団示威運動に関する条例が果して憲法違反のものであるかどうかを考えてみなければならぬ。
まずその第一条で行進または集団示威運動で街路もしくは公共の場所を行進しまたは塞ぎ他人がその街路もしくは公共の場所を使用する個人的権利を排除または阻害するに至るべきものは公安委員会の許可を受けないでこれを行つてはならない旨を規定し(行進または集団示威運動一般についてゞはなく一定の場合に限つている)、そして第四条で、公安委員会はその行進または示威運動が公共の安全に差し迫つた危険を及ぼすことが明らかである場合の外はこれを許可しなければならないと明示し(第一項)、その許可を与える場合において参加者が秩序をみだしまたは暴力行為をすることによつて生ずべき公衆に対する危害を予防するため必要と認める条件を附することができる旨(第三項)を規定しているが、また一方、第六条第七条において本条例は右第一条に規定する行進または示威運動を除き公の集会を開く権利を禁止または制限しもしくは公安委員会、警察官、警察吏員その他警察職員、県市町村吏員その他の職員に公の集会政治活動を監督しまたはプラカード出版物その他の文書、図画等を検閲する権限を与えるものではない旨、及びこの条例のいかなる部分も公務員の選挙に関する法令に矛盾しまたは選挙運動中の政治的集会または演説の事前届出を要求するものと解釈してはならない旨を規定している。そこで、右のような規定から条例の全趣旨をよく考えてみると、行進または示威運動が公共の安全に差し迫つた危険を及ぼすことが明らかなようなものはこれを許すべからざるものとして、そうでないものはもとよりこれを許すのであるが、そのように許すべからざる場合であるか、当然許さるべき場合であるかの弁別判定をするため一応許可申請をさせて慎重に検討し過誤なきを期する目的であつて、この目的以外みだりに集会や一切の表現の自由または勤労者の団体行動をする権利に干渉し制限を加えようとするものではないこと明らかである。このように公共の安全に差し迫つた危険を及ぼすことが明らかなものを禁止することが憲法違反でないことについては多言を要しないと思う。また、結局行つて然るべきものについても許可という形式をとるけれども、それは自由を否定禁止しておいてこれを解除するという禁止に重点をおく趣旨ではなくて、全く右の目的のための一つの手続的なものにすぎないと解せられるのである。もつとも、このように本来行つて然るべきものについてまで一応にしろ許可手続を要するとせば、何時でも自由に行い得ることにくらべると、いさゝか制限を受けることになるのであるが、要するに公共の安全に対する危険防止のために帰着するとすれば、それは公共福祉のためにやむを得ないものとして認められて然るべき制限である。
近時社会事情の激変に伴い、諸種の自由や権利の行使に当つて、やゝともすれば他人の自由や権利の侵害を多く意に介しないかのような風潮を否定し難く、行進や示威運動などの大衆運動においても民主的訓練が十分でないためか常軌を逸し破壊的行動にさえ赴くようなことがないでもない。そして、地方公共の秩序を維持すべき滋賀県にあつても、街路または公共の場所でなされる行進や示威運動で他人の個人的権利を害する程度に至るべきものについて、公共の安全に差し迫つた危険を及ぼすことが明らかであるかどうかについて公安委員会をして予め検討する機会を与え、またこのような危険がなく許すべき場合でも群集心理によつてあるいは生ずることあるべき危害予防のための措置を講ずる必要上、事前許可申請の義務を課し、もつて行進や示威運動の自由とこれによつて損ぜられることあるべき他の権利等との調和を図つたことは不許可の場合を限定明示して許可権の乱用を防止しようとの配慮と相まつて結局所論のように憲法違反と解すべきものではない。
同第四点について、
しかし、普通地方公共団体たる市町村(以下単に市町村という)は特別市と異り府県に包括されるのであり(地方自治法第五条第二項第二百六十五条第一項)、換言すれば市町村は必ずいずれかの府県内にあり、府県内の地域は必ずやいずれかの市町村に属するわけであつて、要するに府県と市町村とは地域的に必ず重複しており市町村の地域を除いた府県は想像できないのである。従つて府県の条例がその地域内なる市町村の地域にも適用されることはむしろ当然であつて、本件滋賀県条例はその区域内なる彦根市内の事件について適用がないとする論旨は何ら理由がない。
同第三点について。
しかし原判決挙示の証拠によると、(一)本件集団が反税とか吉田内閣打倒等の共同目的を表現する多数の長旗、小旗、プラカード等を掲げ百余人一団となり原判示個所を行進したことが認められるから、いわゆる集団行進による示威運動というべきであり、集団を構成する者が労働歌を高唱したり隊伍を組んだり駈足で走ることは何ら示威運動の要件ではないし、(二)また本件示威運動を共謀計画したものが被告人久木等であることも十分窺われるところであり、(三)本件示威運動について許可申請がなされていなかつたことは明白であるのみならず、許可申請の結果許可を得ていたと信じていたとの心証をひくに足るものはないから被告人等に犯意がなかつたものというを得ない。その他記録を精査しても原判決第二認定事実をもつて不当とは思われないから、論旨はすべて採用できない。
同第六点について。
所論に鑑み訴訟記録を精査してみると、被告人等に対する原審の科刑はやゝ重過ぎると思われるから、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条により原判決を破棄し、同法第四百条但し書に従い自判するを相当と認め、原判決の認定した事実にその摘示した法規及び刑法第二十五条刑事訴訟法第百八十一条をそれぞれ適用して主文のとおり判決をする。
(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)
弁護人の控訴趣意
第一、住居侵入被告事件に就て
第一点原審判決は事実の誤認がある。即ち原審判決は、彦根市長小林郁が昭和二十五年二月十四日午後四時三十分頃、被告人小川、同久木等に対し、市長室よりの退去を最終的に要求し、自らも退室したにかゝわらず、故なく、右の要求に応ぜず、引続き同市長室を占拠して退去しなかつたものであると認定して居るが、右は判決に影響を及ぼすこと明らかな重大な事実の誤認である。証人寺村勝次郎の証言に依つても「私には聞えたが皆に聞えたかどうか判らない」程度の声で市長は退場要求を為したものであつて、(第三回公判調書)仮りに市長の退去要求があり、それが正当な要求であつても、被告人等には徹底しなかつた種類の微弱な要求であり、この事実を基礎にして、被告人等に住居侵入の罪責を負担せしめようとすることは、全く人間の五官作用を無視して事実認定をほしいまゝにしたものであり、違法の甚だしきものである。而も市長は始め被告人等が面会を求めた際には面会時間の制限を為さなかつたものである。午後四時から会合があるとは言つたが、何分とか十分とかは制限しなかつたと明瞭に証言して居るところである。(第三回公判小林郁証言)
原審公判に於ては、検事は、面会時間十分間と制限して面会したものであるから、四時のサイレンが鳴れば十分になる故当然に被告人等は退去すべきにかゝわらず、この時退去しなかつたのが当然に不退去の罪であり、況んや市長より前記の要求があつた上に於ては尚更ら不退去の罪は免れないとの論理を維持しようとしたが市長自らの前記証言によつて、其制限は消滅し、市会議長である前記寺村の証言によつて、その要求は被告人等の聴覚を以つてして果して聴きとり得たか否かと疑はしめるものであつた事を明確になつたにもかゝわらず原審判決が依然として起訴状を敷写して住居侵入の罪を認定したことは愕くべき無暴であると謂わねばならない。
被告人等の主張するところは、市長小林郁が、かゝる要求を為した事実を否認し、更に寺村市会議長が、市長が去つた後、自ら挨拶するから少時待つて呉れるよう発言したので一時市長室を去つた右寺村の再来を待機して居たものであつて、毫も不法に退去を肯んじなかつたものではないのである。此の点に関しては原審公判に於ける各被告人の供述並びに、弁護人申請に係る証人の第四回公判調書の記載を一ベツすれば洵に明白である。原審判決がこれらの証拠を無視して、被告人に不利な一、二の片々たる証拠を援用して断罪したことは自由心証主義の名にかくれて事実誤認の過誤を敢てしたものとのそしりをまぬかれない。小林市長が退去要求の挙に出るどころか、ネズミが逃げ出したごとくコソコソとその姿を被告人等の視界から消したことは、被告人等の供述をまつまでもなく、第三回公判に於ける前記寺村並に高田浅次郎の証言をもつてしても明らかである。此等の点を無視して右のごとき事実認定を敢えて為した原審判決は刑事訴訟法第三八二条によつて到底破棄を免れないものと思料する。
第二点原審判決は憲法違反の判決である。原審判決は、右被告人等の市長との交渉をとつて、住居侵入であると断罪して居るが右は憲法第二八条が規定する「勤労者の団結権」を無視するものであり、従つて又労働組合法第一〇条を空文化するものである。憲法並びに労働組合法に於て「勤労者」並びに「労働組合」に自由労働者並びに自由労働組合が包含せられて居ることは自明の理である。然らば被告人等が自由労働組合の代表者又は其責任者として彦根市を代表する同市々長小林郁に面会を求めて、同市に於ける雇傭のワクを拡大する事を要求する為とそれに関連する市長の労働省との交渉の内容を聴取するため同市長室に乗り込んで面会を求めたことは何等違法の範疇に属するものでなく、憲法並びに労働組合法が被告人等に命ずる至上の義務である。
勿論労組法第一〇条に謂ふところの「使用者又はその団体」の範疇に彦根市従つてそれを代表する市長が包含されるかは一種の疑義があるかの如く、反動者流法学者並びにそれに随う法律実務家はつぶやくものゝようであるが、此等は全く採るに足らない時代錯誤の謬論にすぎない。なんとなれば憲法並びに労組法から自由労働組合にも団体交渉権を容認して居るにもかゝわらず、その相手方が彦根市でないとすれば竟に相手方なき団体交渉権に終るのみである。斯くの如きトンチンカンな結論を導き出す反動者流法解釈こそ社会治安を攪乱する暴論である。その暴論の根拠として彦根市は直接且継続的に労務供給の契約関係を締結した当事者でない間接的(職業安定所を通じて)間ケツ的(所謂日雇)である点に於て、一般に謂う使用者と異る主張を事実上の理由とする。然し乍ら職業安定所を通じて雇傭するのは条件にすぎないので日雇であると言つても将来に於ても永続的に雇傭される期待権は事実上継続的である。それにもまして此の国の一般に行はれて居る自由労働者乃至其組合と其相手方である市又は都府県の実状は彦根市が労組法第一〇条に規定する使用者であることを容易に肯定せしめるものがある。即ち一般に市又は都府県は交渉の相手方となつて現実に交渉し越年資金迄も給して居る実例は京都府及び市又は東京都等至るところに観るところである。之等の実情を無視して法の形式論理解釈の操作によつて彦根市を使用者の範囲より除外しようとすることは現実に眼をそむけて其の責任を回避する事大主義者の最たるものである。
本件に於ては市長小林郁は被告人等に面会する義務を有し、且つそれを感じて居ることは同人の証言によつても明白であり、更に被告人等の交渉があることが自己の自由労働者に対する責務を完するうへに於て有効なことを自認して居るところである。即ち同人の証言によると「一月二十九日頃被告人等に会つたときドンドン運動を進めてくれ、そうすれば吾々も上に対し交渉がやりよいから」と供述して居る程である(第二回公判)。この事実を無視して本件交渉を団体交渉と認めなかつた原審判決は正に違法の頂点に達しているものである。団体交渉である限り、徒らにそれを回避し、みだりにそれを拒絶出来ないものであることは労働関係調整法第四条の精神に照しても自明のところに属するものである。原審判決が裁判官が最も戒心すべき憲法違反の暴挙を敢てして本件を住居侵入の罪をもつて処断したことは、全く許容出来ない法令の適用の違反であつて到底破棄さるべきものと思料する。
第二、滋賀県条例違反被告事件に就て。
第三点原審判決は事実の誤認がある。即ち原審判決は被告人久木同小川等が反税示威運動を計画し且之に参加したものであると認定して居るが、右は判決に影響を及ぼすべきこと明らかな重大なる事実誤認である。
(一) 本件は示威運動でない。三々五々連れ立つて街頭を活歩したまでゞあつて未だもつて示威運動と謂えない。即ち示威運動に附きもの、労働歌等を高唱された事実も隊伍を組んで馳け足にて走る等の例も見えない。単んに比較的多人数が三々五々打ち連れて歩行したものに過ぎないことは、弁護人申請の証人の供述に明らかであり、小旗、プラカードを持参するのみを以つて示威運動と認定することは違法の甚だしいものである。
(二) 被告人等は計画したものでない。仮りに右行進が示威に亘るとしても被告人等が計画したものでない。この点も弁護人申請の証人の供述並びに原審公廷に於ける被告人の供述によつて明瞭である。
(三) 被告人等は共同謀議にあづかつたものでない。計画したものでない限り共同謀議に預つて居ないことは勿論であるが、本件行進が日本農民組合書記奥田幸夫の計画して居るものであるが、同人が誤つて之れが届出を為さなかつた為め本件行進が違法となつたものであるが、右届出を了したか否かは被告人等の関知しないところであり、従つて被告人等は正当なる行進と思考して参加したものであることは、被告人等の原審公廷の供述及び弁護人申請の証人の証言によつて明瞭である。従つて本件行進に被告人等が参加した事実のみをとらへて被告人等に罪を犯す意思があつたと言う事は出来ない。
果して然らば原審判決は事実誤認の甚だしいものであり、此点に於ても刑事訴訟法第三八二条によつて到底破棄を免れないものと思料する。
第四点原審判決は法令の適用に誤がある。即ち原審判決は滋賀県条例を本件に適用して居るが、右は判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用の誤謬である。地方自治法に於ては市は県と対等の普通地方公共団体であり(同法第一条第二項)市は県と独立に条例制定の権能を有するものである(同法第十四条)勿論同法第十四条第四項の規定するところによると市条例は県条例に違反する場合は無効であるが、市条例が無い場合、当然に県条例が県と独立した別個の普通地方公共団体である市に適用さるべき筈がない。
原審判決は彦根市内に於て行はれた本件行進に対し滋賀県条例を適用したことは法令適用にもとるの甚だしいものであり刑事訴訟法第三八〇条に依つて到底破棄さるべきものと思料する。
第五点原審判決は憲法違反の判決である。即ち原審判決が本件行進に適用した滋賀県条例は憲法違反の条例である。右条例が制限するところの、行進又は集団示威運動は憲法第二八条の団体行動権を直接取締ろうとする一般規定であり、これは法律をもつてしても絶対に取締りの対象とすることが出来ない、直接基本人権を対象とするものであつて、何等実定的な根拠のない憲法違反の条例である。公共の福祉なる概念によつて基本的人権を制限出来るとの暴論は基本的人権の行使の裡にこそ公共の福祉が維持されることを知らない迷論である。憲法上公共の福祉を理由として法律で制限出来ることを明記してあるのは、第二九条の財産権と第二二条の職業選択権のみであつて他の基本的人権は「不断の努力によつてこれを保持しなければならない」ものである。憲法第一二条及第一三条には公共の福祉を理由として基本的人権を制限しうるとの法意は一片もないのである。前者は国民の憲法上の義務規定であり国家立法の態度を規定するものでなく、後者は国家の人権尊重の義務規定であるそれ以上に出でないものである。
果して然らば右条例が団体行動権なる基本的人権を一般的に取締ることは違憲の甚だしいものであり、右条例を適用した原判決も又憲法違反のそしりを免れることが出来ない違法判決として刑事訴訟法第三八〇条により到底破棄さるべきものである。
第三、刑の量定に就いて
第六点原審判決は刑の量定が不当である。即ち原審判決は被告人等に重刑を科し、これに執行猶予をも与へてゐないが、右は全く刑の量定著しく不当のものである。
(一)、原審判決は刑の量定に当り著るしく偏見に陥り憲法の精神まで無視して居る。原審判決は被告人等の行為が日本共産党の政策の一環として為されたとの偏見をもつて刑の量定につき差別的処置を侵して居る。而して被告人等の純心さを全く見失ふ結果に陥つて居るものである。右の偏見が憲法第十四条を無視するものであることは当然であつて到底容認さるべきものでないことは論を俟たない。而して被告人等が失業と苛税に苦悩する人民の先頭に立つて祖国再建の意図にもえて敢へて此の行動に出た所以を全く理解せず、一罰百戒の愚に出でたものにすぎない。
(二)、原審判決の刑の量定は著るしく同一種類の事案に対するものと其均衡を失するのそしりをまぬかれない。一般的に階級闘争の激烈な革命期に於ては司法権はいよいよ中正の立場に自覚的に立脚しなければならない。闘争の結果惹起した事案に厳罰をもつてのぞむことは、自ら中正の途を棄てるのみでなく、階級闘争の一翼であるの観を司法裁判が呈し、延いては闘争を激烈ならしめ、法廷にまでそれを導入する結果に陥る。革命期の裁判が中和を要するは論を俟たないところである。原審判決は其精神を没却するの甚だしいものである。
(三)、被告人は三名とも学識ある有能活溌なる青年である、被告人等の行動は確信に満ちた思慮の結果である。彼等に厳刑を課することは勿論、刑罰そのものすら課し得ないと云ふ刑法責任論が存在する。これは階級社会に於ける刑事責任論のつき当つた鉄壁でもある。そこで振りかへつて苦悶する社会を観察し、そこに苦悩から脱却しようとする一群の人々の行為にヒユーマニズムを観取しなればならない。その態度が鉄壁をつきやぶらなくとも正に達人の境地である。それ裁判官は達人の域に達して大観すべきである。鉄壁につき当る程の熱意もなく、顧みて分裂する社会の苦悶に心を動かされる情意もなく、一方に偏して憎悪をもつて彼等を遇せんする原審判決は達人の域に達したものとは謂ひ得ないところである。
右の趣旨に於て原審判決の刑の量定は著るしく不当であり刑事訴訟法第三八一条により到底破棄を免れないものと思料する。